あさまだき
夏の日の夕暮れ時、昼のぎらぎらした太陽に照らされたアスファルトの熱がまだ残っていて、足元からの熱気に体力が奪われていくような気さえしながら、和谷のアパートにたどり着く。
ドアノブを回してドアを開けるが、そこも湿気と熱気の嵐だった。
「あづぃーっ!」
「人の部屋に入ってくるなり、いきなりそれか?」
「だって、暑いもんは暑いっ!」
「…にしたってなぁー」
「はいはい、おじゃましますぅーっ!」
「…いいけどな、別に」
「なぁー、エアコン」
「何?」
「だからぁー、エアコン買おうってばっ!」
昨年も同じことを言われたなぁーと、思い返しながら、ヒカルの方に扇風機を向けてやる。
「なぁー、なぁーってばっ」
「別にいいよ」
そっけなく言うと、ヒカルがぷうーっと頬を膨らませた。
「なんでぇーっ!」
不満そうに口を尖らせるヒカルに和谷はどうしたものかと、思案する。
プロになって数年、それなりに地位を築き上げてきた彼にとってエアコンなど買って買えないものでもない。
しかし、和谷にはある思惑があった。
ヒカルとともに歩み進んできたこの数年、むろんここでの一人暮らしはそれなりに楽しかった。
皆で集まって開く勉強会も楽しかったし、騒ぐのも楽しかったけれど、ヒカルと二人っきりになる…という機会が、あまりにも少ないことに最近、危機感を覚え始めたのである。
みんなが集まりやすい環境なのは自分があえてそうしてきたため、文句も言えない。
けれど、やはり二人の時間が欲しいと和谷は思った。
ヒカルがそれについてどう思っているのかは、まだ分からないけれど、同じ気持であって欲しいと思う。
二人でいるときに他のメンバーが乱入してくるのは日常茶飯事で、ちっとも二人の時間が持てないのが現状なのだ。
ヒカルだって毎日ここにいる訳ではないから、本当に時間は限られてくる。
下世話な話だが、エッチもしばらくお預け状態なのだ。
早い話が、和谷は二人で暮らしたいと思っているのである。
ヒカルには内緒だったが、実はもうすでに引越しのめどもつけてある。
後はヒカルの承諾とヒカルの両親の承諾を得るのを残すのみ。
母の知り合いの不動産屋で物件を探してもらったのだ。
今度の部屋は、もちろんここみたいな安アパートじゃなく、一応マンションと名がつく建物の3階、2LDKの物件である。
知人ということで、いろいろな手続きは待ってもらっているが、早いところヒカルに話さなくてはと、思っていたのだ。
ただタイミングがつかめずに、黙っていた。
「あのな、進藤…エアコンは買ってもいいだけどな、この部屋にじゃなくてもいいかなと思うんだ」
「はっ?…何言ってんの和谷、この部屋じゃなくてどこにエアコンつけるんだよっ?」
「ん~、だからな…一緒に暮らさないか、お前?」
「へっ?」
いきなりのことで、まったく話を理解していないであろうヒカルが、きょとんとして和谷を見つめていた。
「俺、お前と暮らしたいんだ」
「…和谷?」
「お前と俺、そろそろ一緒に暮らしてもいい時期かな…なんて思ってるんだけど、ダメか?」
「俺がお前と、一緒に暮らすの?」
「そう」
「ここで?」
「いや、ここじゃなくてもっと広い部屋」
「ふ~ん」
「ふ~んってお前…」
分かっているのか分かっていないのか、ヒカルの反応はいまいち微妙だ。
和谷はごそごそと棚の中から、もらっておいた部屋の間取り図を探し出すと、ヒカルに見せた。
「この物件なんだけどな、不動産屋が母さんの知り合いの人だから、手続き待ってもらってる」
「俺に一言も無く、勝手に?」
「いや、だから本当はもっと前に話すつもりだったんだけど、なかなか言い出せなくて…」
「俺、料理とかできないんだけど…」
「いや、それはほら、俺が少しはできるようななったし」
「掃除とか、洗濯とか…」
「掃除はいくらお前でもできるだろう」
「好きじゃないし…」
「まっ、俺がなるべくやるようにするし、ちょっと掃除しないからって、死にゃあしないだろう」
それきり黙ってしまったヒカルの様子をじっと伺い見る。
すると、何を思ったのかヒカルはおもむろに携帯電話を取り出して、電話をかけ始めた。
「もしもし、あっ母さん、今日って父さん何時ぐらいに帰ってくる?」
いきなり、家に電話をするヒカルに和谷は慌てふためいた。
「し…進藤?」
「ん、わかった。じゃあそれまでには帰るから…じゃあね」
「おいっ」
「…というわけだから、今日は俺んちに来て事の顛末を全部話せよ。そんで、うちの親を説得してみれば」
和谷は思った…早まったのか俺?…と。
そしてそれからわずか数日後、ヒカルと和谷の引越しが仲間たちをも巻き込んで、大々的に行われたのである。
「和谷、和谷ってば、起きろよっ!」
「んんぅ~、何?」
珍しく早く起きていたらしいヒカルが、仁王立ちで和谷を見下ろしていた。
「もうっ、今日お前、遠征だろう」
「あっ…」
すっかり忘れていたっと、頭をかきながらもぞもぞと和谷がベッドから降りる。
「全く、寝汚いとかって人のこと散々言うくせに、なんなんだかなぁー」
「んー」
「荷物は準備してあるんだろう。タクシー呼ぶからすぐ支度しちゃえよ」
「わりぃー」
素直にヒカルに謝ると、そそくさと顔を洗いに洗面所に向かった。
それを追うようにして、ヒカルの声が聞こえてきた。
「俺、空港まで送ってくから、空港で朝飯食おう」
「わかった」
一緒に暮らし始めて数ヶ月、時にはケンカもするけれど、一緒にいられることがやっぱり何よりも幸せだと、実感している和谷とヒカルの二人だった。