夏空
棋院に顔を出した帰り道、ヒカルは伊角と和谷と3人で食事をすることになって、繁華街の方へと足を延ばした。
何処に入ろうかと、店を物色していると、突然伊角の携帯から、軽やかなメロディが鳴り出した。
「ごめんちょっと、待ってて」
そう言って慌てて、携帯に出て会話を始めた伊角を見て、ヒカルと和谷は余計な想像をめぐらす。
「彼女かな…?」
「どうかな?」
「でも、伊角さんに彼女がいるなんて、俺聞いたことないけど…」
「伊角さんって、もてるんだぜ知らなかった?」
「あー、うん。それはなんか分かる気がするけど」
「奈瀬とか桜野さんとか、伊角さん狙いだって…」
「えっ、奈瀬って、和谷じゃなかったの?」
「なんだよそれって、おまえそんなこと思ってたの?」
「あいつは、伊角さんだよ」
「えー、だっていっつも和谷のこと構ってるじゃん」
そんなやり取りを交わしていると、伊角が2人の頭を軽く小突いた。
「何、バカな話してんだよ…俺に彼女なんていないの。今の電話は弟からだ。鍵忘れて家に入れないって言ってるから、悪いけど俺、今日は帰るな」
「な~んだ」
「えー、伊角さん帰っちゃうの?」
「悪いな。飯にはまた今度、付き合うよ」
そう言って伊角は、駅に向かう道へと戻っていった。
「さてと、伊角さんがいないことだし、どうする…このまま俺んち来るか?」
ぼぉーっと、伊角の後姿を見送っていたヒカルに声を掛けた。
「う~ん、どうしよっかなぁー」
おそらく、別の意味でも誘われているのだと、分かっているヒカルは、多少和谷を焦らすように気を持たせる返事を返す。
「素直じゃないよなぁー、お前」
「だって別に和谷んち行かなくったって、飯食えるしぃー」
「ホント、かわいくねぇー」
「俺男だから、可愛いとか言われたって、別に嬉しくないしぃー」
半分冗談交じりのやり取りが、2人の間で交わされる。
「あっ、俺…焼きそばが食いたいかもっ!」
「焼きそばかぁー、火使うと余計部屋の中、暑くなるんだけど…」
頭の中で部屋で調理している自分を思い浮かべて、和谷はうんざりしてしまう。
「買って帰ればいいじゃん」
「いいのか?」
「うん、だって俺も暑いの嫌だし…」
「よし、じゃあ決まりだな。焼きそば買って、俺んちで食う」
決めるが早いか、二人は駅の方へと駆け出した。
和谷の暮らすアパートがある最寄の駅で降りた二人は、駅前のスーパーに立ち寄って、お惣菜コーナーを覗いてみた。
焼きそばを見つけ手に取った和谷の横で、ヒカルはあれも美味そうこれも美味そうと言って、
和谷に欲しいよコールを、送ってくる。
まあ、おかずも必要だろうとヒカルが覗き込んでいる惣菜に手を伸ばし、ふたつみっつ、おかずになりそうなものを見繕って、持っていた籠に放り込んだ。
「全部、食べろよ」
「任せろって!」
嬉しそうにヒカルが答えた。
「後は、飲みもんだな」
スーパーを一周して、会計を済ませ外へ出ると、にわかに空模様が怪しくなっていた。
「あー、一雨来そうだよ」
「急いで帰らないと、まずいかもな」
スーパーの袋を手に提げ、2人は早足で家路を急いだ。
あと少しというところで、空から大粒の雨。
「わっ、ホントに降ってきた。走るぞ、進藤」
「うんっ!」
全力疾走で、和谷の住むアパートの軒下へと、飛び込んだ。
そのときには雨は本降り、にわかに雷まで鳴り出していた。
「あっ、光った」
「おい、進藤、鍵開けたぞ」
「うん、今行く」
雷光を眺めていたヒカルは、和谷に呼ばれて慌てて、部屋へと入り込む。
荷物を降ろし、部屋の淀んだ空気を入れ替えるために窓を開ける。
「雨、入ってこないか?」
「大丈夫みたいだけど…」
返事は返すが、その場から動こうとしないヒカルの後ろに、和谷も寄ってくる。
「雷見てて、楽しいか?」
「楽しいって言うかさ、ああ、夏なんだなぁ~って、思ってさ」
「まあな」
「明日も暑いかな…」
「そりゃ、夏だからな」
どことなく感傷に浸るヒカルを、暑いっ!と、文句を言われるのを覚悟の上、和谷はぎゅうっと、抱きしめた。